救いはない、それが現実 ― 2016/03/23
2016年3月5日(土)
リヒャルト・ワーグナー
歌劇「さまよえるオランダ人」
びわ湖ホール
指揮:沼尻竜典
演出:ミヒャエル・ハンぺ
オランダ人:青山貴
ダーラント:妻屋秀和
ゼンタ:橋爪ゆか
エリック:福井敬
マリー:小山由美
舵手:清水徹太郎
合唱:二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部
管弦楽:京都市交響楽団
沼尻竜典の指揮で聴く(観る)びわ湖ホールのワーグナーも、「トリスタンとイゾルデ」「タンホイザー」「ワルキューレ」に続いて4作目。カーテンコールの際、わたしの座っていた4階席後方から「今までで一番よかったぞおおおおおっ!!明日も頑張れえええええっ!!」と声が飛んでいたが、そのとおりの充実ぶりだった。合唱、そして何より、京響の演奏の重厚さが光った。歌手では、声を発した瞬間、ガラッと場内の雰囲気を変えてその存在感を示した福井敬(エリック)が印象に残る。
プロジェクションマッピングによってそれぞれのシーンを描き出し、メインの装置が動かないにもかかわらず、しっかりと場面転換がなされるという演出。今回は全3幕をとおしての演奏だっただけに、ヨリいっそう効果的だった。
さて、今回の演出は舵手のいわゆる「夢オチ」だった。これについてはweb上で否定的な見解も見られた。とはいえ、これは、「安易な救済を否定している」と考えれば、説明がつくのではなかろうか。
「すべては舵手の夢でした」ということになれば、オランダ人は救済されることもなく、海をさまよい続けることになる。一方でゼンタも、オランダ人を救済して、オランダ人ともに浄化されることはない。
「救済の否定」は、2012年の二期会「パルジファル」(飯守泰次郎指揮・読響)を観たときにも感じたことである。この際のクラウス・グートの演出−これにも否定的な声が多く、『モーストリークラシック』の批評にいたっては、「演出にせっかくの音楽を乱されることがないよう、目を閉じて聴いていた」という意味のことまで書いていた−では、ラストでパルジファルは独裁者となっていたが、そこからは、「救済を求めることは、結果として隷属に結びつきかねない」というメッセージを読み取ることができた。
救済など、求めても得られるものではない−絶望的ではあるが、それこそが「夢」ではなく、「現実」であることは確かだろう。
リヒャルト・ワーグナー
歌劇「さまよえるオランダ人」
びわ湖ホール
指揮:沼尻竜典
演出:ミヒャエル・ハンぺ
オランダ人:青山貴
ダーラント:妻屋秀和
ゼンタ:橋爪ゆか
エリック:福井敬
マリー:小山由美
舵手:清水徹太郎
合唱:二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部
管弦楽:京都市交響楽団
沼尻竜典の指揮で聴く(観る)びわ湖ホールのワーグナーも、「トリスタンとイゾルデ」「タンホイザー」「ワルキューレ」に続いて4作目。カーテンコールの際、わたしの座っていた4階席後方から「今までで一番よかったぞおおおおおっ!!明日も頑張れえええええっ!!」と声が飛んでいたが、そのとおりの充実ぶりだった。合唱、そして何より、京響の演奏の重厚さが光った。歌手では、声を発した瞬間、ガラッと場内の雰囲気を変えてその存在感を示した福井敬(エリック)が印象に残る。
プロジェクションマッピングによってそれぞれのシーンを描き出し、メインの装置が動かないにもかかわらず、しっかりと場面転換がなされるという演出。今回は全3幕をとおしての演奏だっただけに、ヨリいっそう効果的だった。
さて、今回の演出は舵手のいわゆる「夢オチ」だった。これについてはweb上で否定的な見解も見られた。とはいえ、これは、「安易な救済を否定している」と考えれば、説明がつくのではなかろうか。
「すべては舵手の夢でした」ということになれば、オランダ人は救済されることもなく、海をさまよい続けることになる。一方でゼンタも、オランダ人を救済して、オランダ人ともに浄化されることはない。
「救済の否定」は、2012年の二期会「パルジファル」(飯守泰次郎指揮・読響)を観たときにも感じたことである。この際のクラウス・グートの演出−これにも否定的な声が多く、『モーストリークラシック』の批評にいたっては、「演出にせっかくの音楽を乱されることがないよう、目を閉じて聴いていた」という意味のことまで書いていた−では、ラストでパルジファルは独裁者となっていたが、そこからは、「救済を求めることは、結果として隷属に結びつきかねない」というメッセージを読み取ることができた。
救済など、求めても得られるものではない−絶望的ではあるが、それこそが「夢」ではなく、「現実」であることは確かだろう。