「トゥーランガ」交響曲? ― 2016/12/27
2016年11月27日(日)
京都コンサートホール
京都市交響楽団第607回定期演奏会
オリヴィエ・メシアン:トゥーランガリラ交響曲
指揮:高関健
ピアノ:児玉桃
オンド・マルトノ:原田節
10年ほど前、「指揮者の力量を測る曲は、“ハルサイ”(ストラヴィンスキー「春の祭典」)から“トゥーランガリラ”に移ってきた」という意味の文章を「音友」(『音楽の友』)で目にした記憶がある。今回、京響がそのメシアンのトゥーランガリラ交響曲を取り上げた。指揮は常任首席客演指揮者の高関健、ピアノとオンド・マルトノはそれぞれ児玉桃、原田節という、この曲のスペシャリストが担当。
「トゥーランガリラ」はサンスクリット語で動きやリズム、流れゆく時間を意味する「トゥーランガ」と、創造と破壊、肉体的・霊的な愛の結合を意味する「リーラ」とを組み合わせた作曲者・メシアンの造語である。いつものように明晰な高関の指揮、そして安定した両ソリストならびに京響の演奏とで、演奏者の力量を十二分に感じさせたが、その生真面目さゆえに(?)今回の演奏は、「トゥーランガ」に傾斜することになったようだ。
そういえば、8月の第604回定期で、ショスタコーヴィチ「交響曲第4番」を取り上げた沼尻竜典は、トゥーランガリラのスペシャリストだったはず(日フィルとの録音もある)。沼尻さんのトゥーランガリラ、高関さんのタコ4というプログラミングでも面白かったかもしれない。
京都コンサートホール
京都市交響楽団第607回定期演奏会
オリヴィエ・メシアン:トゥーランガリラ交響曲
指揮:高関健
ピアノ:児玉桃
オンド・マルトノ:原田節
10年ほど前、「指揮者の力量を測る曲は、“ハルサイ”(ストラヴィンスキー「春の祭典」)から“トゥーランガリラ”に移ってきた」という意味の文章を「音友」(『音楽の友』)で目にした記憶がある。今回、京響がそのメシアンのトゥーランガリラ交響曲を取り上げた。指揮は常任首席客演指揮者の高関健、ピアノとオンド・マルトノはそれぞれ児玉桃、原田節という、この曲のスペシャリストが担当。
「トゥーランガリラ」はサンスクリット語で動きやリズム、流れゆく時間を意味する「トゥーランガ」と、創造と破壊、肉体的・霊的な愛の結合を意味する「リーラ」とを組み合わせた作曲者・メシアンの造語である。いつものように明晰な高関の指揮、そして安定した両ソリストならびに京響の演奏とで、演奏者の力量を十二分に感じさせたが、その生真面目さゆえに(?)今回の演奏は、「トゥーランガ」に傾斜することになったようだ。
そういえば、8月の第604回定期で、ショスタコーヴィチ「交響曲第4番」を取り上げた沼尻竜典は、トゥーランガリラのスペシャリストだったはず(日フィルとの録音もある)。沼尻さんのトゥーランガリラ、高関さんのタコ4というプログラミングでも面白かったかもしれない。
聴き手もまた、演奏の一部 ― 2016/08/25
2016年8月19日(金)
京都市交響楽団 第604回定期演奏会
京都コンサートホール
指揮:沼尻竜典
ピアノ:石井楓子
三善晃:ピアノ協奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第4番
創立60周年ということで、大曲が続く京響。今回のメインはショスタコーヴィチの4番。
締め括りが静かな曲だけに、フラブラなどかまされたら、めちゃくちゃになってしまうところだが、幸いにも、そのようなことはなく、最後の静寂こみの演奏と相成った。聴き手の存在もまた、演奏の一部であることを改めて実感した次第。京響の充実ぶりは相変わらず。いつもながら、沼尻さんの指揮ぶりは、むち打ちにならないかとハラハラさせられるが……
前半の三善晃「ピアノ協奏曲」は、むしろ打楽器協奏曲という趣の曲。終演後、地下鉄北山駅の階段を降りているとき、ご婦人二人連れの「ピアノ(石井楓子)はまだまだやねぇ」「まだ25歳らしいし、これからでしょ」という会話を小耳に挟んだ。厳しい聴き手に鍛えられる京響である。
京都市交響楽団 第604回定期演奏会
京都コンサートホール
指揮:沼尻竜典
ピアノ:石井楓子
三善晃:ピアノ協奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第4番
創立60周年ということで、大曲が続く京響。今回のメインはショスタコーヴィチの4番。
締め括りが静かな曲だけに、フラブラなどかまされたら、めちゃくちゃになってしまうところだが、幸いにも、そのようなことはなく、最後の静寂こみの演奏と相成った。聴き手の存在もまた、演奏の一部であることを改めて実感した次第。京響の充実ぶりは相変わらず。いつもながら、沼尻さんの指揮ぶりは、むち打ちにならないかとハラハラさせられるが……
前半の三善晃「ピアノ協奏曲」は、むしろ打楽器協奏曲という趣の曲。終演後、地下鉄北山駅の階段を降りているとき、ご婦人二人連れの「ピアノ(石井楓子)はまだまだやねぇ」「まだ25歳らしいし、これからでしょ」という会話を小耳に挟んだ。厳しい聴き手に鍛えられる京響である。
道は続く ― 2016/08/23
2016年7月22日(金)
大阪交響楽団 第203回定期演奏会
ザ・シンフォニーホール
指揮:寺岡清高
バリトン:谷口伸
ブラームス
悲劇的序曲
フックス
交響曲第1番
マーラー
五つの初期の歌(ベリオ編)
交響曲第5番第4楽章「アダージェット」
リュッケルトの詩による五つの歌曲
「知られざる名曲」を取り上げてきた児玉宏が音楽監督を退任し、外山雄三を新たにミュージック・アドバイザーに迎えた大阪響。「路線転換」が注目されたが、ウィーンゆかりのロマン派作品を中心に取り上げてきた常任指揮者・寺岡清高は、2016年度のプログラムで力強く宣言した。
「新体制の大阪交響楽団のプログラムが保守的になり過ぎるのではないかとご心配の皆さま、(略)ご安心下さい。我々はまだまだやります!3年6回の新シリーズ、題して「ウィーン世紀末のルーツ〜フックスとブラームスから始まる系譜」では、ウィーンという狭い町でお互い密接に絡み合った作曲家たちの作品を通して、ウィーン後期ロマン派の交響音楽の醍醐味を存分にお楽しみいただきます。」
というわけで、今回の注目は当然、フックス。児玉=寺岡が取り上げる楽曲に関して往々にして当てはまることだが、まとまりはあるものの、親しみやすい箇所や印象に残る箇所がなく、インパクトに乏しい。忘れ去られてしまうの無理はない……と思わされるのだが、ともあれ、こうした楽曲の実演される機会が設けられること自体に、大きな意義があることは確か。路線継続を歓迎したい。
とはいえ、年1度くらいは、児玉さんに振ってもらいたいところだが……
大阪交響楽団 第203回定期演奏会
ザ・シンフォニーホール
指揮:寺岡清高
バリトン:谷口伸
ブラームス
悲劇的序曲
フックス
交響曲第1番
マーラー
五つの初期の歌(ベリオ編)
交響曲第5番第4楽章「アダージェット」
リュッケルトの詩による五つの歌曲
「知られざる名曲」を取り上げてきた児玉宏が音楽監督を退任し、外山雄三を新たにミュージック・アドバイザーに迎えた大阪響。「路線転換」が注目されたが、ウィーンゆかりのロマン派作品を中心に取り上げてきた常任指揮者・寺岡清高は、2016年度のプログラムで力強く宣言した。
「新体制の大阪交響楽団のプログラムが保守的になり過ぎるのではないかとご心配の皆さま、(略)ご安心下さい。我々はまだまだやります!3年6回の新シリーズ、題して「ウィーン世紀末のルーツ〜フックスとブラームスから始まる系譜」では、ウィーンという狭い町でお互い密接に絡み合った作曲家たちの作品を通して、ウィーン後期ロマン派の交響音楽の醍醐味を存分にお楽しみいただきます。」
というわけで、今回の注目は当然、フックス。児玉=寺岡が取り上げる楽曲に関して往々にして当てはまることだが、まとまりはあるものの、親しみやすい箇所や印象に残る箇所がなく、インパクトに乏しい。忘れ去られてしまうの無理はない……と思わされるのだが、ともあれ、こうした楽曲の実演される機会が設けられること自体に、大きな意義があることは確か。路線継続を歓迎したい。
とはいえ、年1度くらいは、児玉さんに振ってもらいたいところだが……
アンコール > メイン? ― 2016/08/09
2016年6月25日(土)
大阪フィルハーモニー交響楽団「大ブルックナー展」(第4回)
兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール
指揮:井上道義
ヴァイオリン独奏:神尾真由子
メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調
ブルックナー:交響曲第1番(リンツ稿、ノーヴァク版)
「"オレはブルックナーが聴きたいんだッ!!" という人もいるだろうけど、大阪・大フィルにはラテンのノリが合っているので、そちらの方向性も広げていく」という意味のことを語っている井上道義だが、大フィルの十八番、ブルックナーのほうもしっかり取り組んでいる。今回は、実演に接することの少ない1番。
朝比奈時代のメンバーからほとんど入れ替わってきているし、取り上げられることの少ない1番ではあったが、ブルックナーを演奏すると生き生きしてくるのが大フィル。1番のゴツゴツした感じが十分に表現されていた。
さて、前半のメンデルスゾーン。ホールがやや広めなだけに、編成が小さめの曲や協奏曲は音響の点で少々不利になるのは否めない。何より、ソリストの神尾がアンコールでハインリヒ・エルンスト「"魔王" シューベルトの主題による大奇想曲」を演奏したため、すべてがかき消されてしまった……というのは大げさとしても、「これだけでも聴きに来た価値があった!!」と思ってしまったのは事実。アンコールがメインを食ってしまった午後でありました。
大阪フィルハーモニー交響楽団「大ブルックナー展」(第4回)
兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール
指揮:井上道義
ヴァイオリン独奏:神尾真由子
メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調
ブルックナー:交響曲第1番(リンツ稿、ノーヴァク版)
「"オレはブルックナーが聴きたいんだッ!!" という人もいるだろうけど、大阪・大フィルにはラテンのノリが合っているので、そちらの方向性も広げていく」という意味のことを語っている井上道義だが、大フィルの十八番、ブルックナーのほうもしっかり取り組んでいる。今回は、実演に接することの少ない1番。
朝比奈時代のメンバーからほとんど入れ替わってきているし、取り上げられることの少ない1番ではあったが、ブルックナーを演奏すると生き生きしてくるのが大フィル。1番のゴツゴツした感じが十分に表現されていた。
さて、前半のメンデルスゾーン。ホールがやや広めなだけに、編成が小さめの曲や協奏曲は音響の点で少々不利になるのは否めない。何より、ソリストの神尾がアンコールでハインリヒ・エルンスト「"魔王" シューベルトの主題による大奇想曲」を演奏したため、すべてがかき消されてしまった……というのは大げさとしても、「これだけでも聴きに来た価値があった!!」と思ってしまったのは事実。アンコールがメインを食ってしまった午後でありました。
「ホール」という楽器 ― 2016/08/03
2016年6月8日(水)
マチネ・シンフォニー Vol.15
ザ・シンフォニーホール
井上道義指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団
バンドネオン:ネストル・マルコーニ
リムスキー=コルサコフ「スペイン奇想曲」
マルコーニ「タンゴ協奏曲」
ハチャトゥリアン バレエ音楽「ガヤネー」より
1. 絨毯の刺繍
2. レスギンカ
3. 間奏曲
4. バラの乙女たちの踊り
5. ヌーネとカレンの踊り
6. アイシャとガヤネーの情景
7. アルメンの不幸
8. ガヤネーとアルメンの情景
9. ガヤネーとアルメンの愛のデュエット
10.山の若者たちの踊り
11.剣の舞
午前中に授業を済ませてザ・シンフォニーホールに駆けこむ、というのがマチネ・シンフォニーでのわたしのパターンなのだが、平日の午後ゆえ、仕事をサボって来ている感が半端ないのはいつものこと。勤務時間外のプライヴェートな時間なので、気にすることではないのだが。
指揮の井上お得意のレパートリーゆえ、演奏には問題なし。作曲・バンドネオン独奏で自作自演のマルコーニの妙技も堪能。
気になったのは、ホールの音響。2014年度の井上の首席指揮者着任に伴い、定期演奏会の開催ホールを改装なったフェスティバルホールに戻した大フィルだが、やはり、音響面ではコンサート専門ホールであるザ・シンフォニーホールが優っていることは否めない。特に、弦の響きが全く違うことを今回、痛感させられた。
井上曰く、「ワインヤード形式のホールは祝祭的な雰囲気はあるけれど、じっくりと音楽と向き合うのには必ずしも向いていない」(いつぞやのプレトークより)。とはいえ、やはり、ホールは「器」としての側面よりも、楽器としての側面を重視すべきだろう。
マチネ・シンフォニー Vol.15
ザ・シンフォニーホール
井上道義指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団
バンドネオン:ネストル・マルコーニ
リムスキー=コルサコフ「スペイン奇想曲」
マルコーニ「タンゴ協奏曲」
ハチャトゥリアン バレエ音楽「ガヤネー」より
1. 絨毯の刺繍
2. レスギンカ
3. 間奏曲
4. バラの乙女たちの踊り
5. ヌーネとカレンの踊り
6. アイシャとガヤネーの情景
7. アルメンの不幸
8. ガヤネーとアルメンの情景
9. ガヤネーとアルメンの愛のデュエット
10.山の若者たちの踊り
11.剣の舞
午前中に授業を済ませてザ・シンフォニーホールに駆けこむ、というのがマチネ・シンフォニーでのわたしのパターンなのだが、平日の午後ゆえ、仕事をサボって来ている感が半端ないのはいつものこと。勤務時間外のプライヴェートな時間なので、気にすることではないのだが。
指揮の井上お得意のレパートリーゆえ、演奏には問題なし。作曲・バンドネオン独奏で自作自演のマルコーニの妙技も堪能。
気になったのは、ホールの音響。2014年度の井上の首席指揮者着任に伴い、定期演奏会の開催ホールを改装なったフェスティバルホールに戻した大フィルだが、やはり、音響面ではコンサート専門ホールであるザ・シンフォニーホールが優っていることは否めない。特に、弦の響きが全く違うことを今回、痛感させられた。
井上曰く、「ワインヤード形式のホールは祝祭的な雰囲気はあるけれど、じっくりと音楽と向き合うのには必ずしも向いていない」(いつぞやのプレトークより)。とはいえ、やはり、ホールは「器」としての側面よりも、楽器としての側面を重視すべきだろう。
祝60年、600回 ― 2016/04/20
2016年4月15日
京都市交響楽団第600回定期演奏会
京都コンサートホール
指揮:広上淳一
コープランド 市民のためのファンファーレ
W.A.モーツァルト 交響曲第41番
R.シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」
10日のスプコンに続き、京響を聴く。今シーズン、京響は60周年を迎えたが、偶然にも、シーズンの幕開けの定期が600回目となった。関西のプロオケで、今、最も充実した演奏を聴かせてくれるのは京響だと感じているが、今回も、その期待は裏切られなかった。
最初のコープランド。トランペットが高音を外しそうになり、一瞬ヒヤッとしたが、すぐに立ち直る。2曲目のモーツァルト。最近は、それなりの団員を抱えているオケでも、モーツァルトとなると大きくとも12型で演奏されることが多いように思うが、今回の京響は何と14型。とはいえ、41番には、これもまたよし。威風堂々とした「ジュピター」だった。
最後のツァラトゥストラは、広上=京響コンビの本領発揮。ただ、オルガンの低音が、よくいえば迫力がある、悪くいえば耳につく響きで、調整のできていないサブウーファーを聴かされているようだったのが珠に傷だったか。全体としては、まったく問題にならないようなことかもしれないが……
さて、10年前の50周年のときは、1日でブラームスの交響曲全曲演奏を、奇数番号を大友直人、偶数番号を井上道義が振り分けるかたちで聴かせてくれた京響。今シーズンは、定期のプログラムにタコ4、トゥランガリラ、マラ8と大曲が並ぶ。10年後の70周年は、どうなっているのだろうか。
京都市交響楽団第600回定期演奏会
京都コンサートホール
指揮:広上淳一
コープランド 市民のためのファンファーレ
W.A.モーツァルト 交響曲第41番
R.シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」
10日のスプコンに続き、京響を聴く。今シーズン、京響は60周年を迎えたが、偶然にも、シーズンの幕開けの定期が600回目となった。関西のプロオケで、今、最も充実した演奏を聴かせてくれるのは京響だと感じているが、今回も、その期待は裏切られなかった。
最初のコープランド。トランペットが高音を外しそうになり、一瞬ヒヤッとしたが、すぐに立ち直る。2曲目のモーツァルト。最近は、それなりの団員を抱えているオケでも、モーツァルトとなると大きくとも12型で演奏されることが多いように思うが、今回の京響は何と14型。とはいえ、41番には、これもまたよし。威風堂々とした「ジュピター」だった。
最後のツァラトゥストラは、広上=京響コンビの本領発揮。ただ、オルガンの低音が、よくいえば迫力がある、悪くいえば耳につく響きで、調整のできていないサブウーファーを聴かされているようだったのが珠に傷だったか。全体としては、まったく問題にならないようなことかもしれないが……
さて、10年前の50周年のときは、1日でブラームスの交響曲全曲演奏を、奇数番号を大友直人、偶数番号を井上道義が振り分けるかたちで聴かせてくれた京響。今シーズンは、定期のプログラムにタコ4、トゥランガリラ、マラ8と大曲が並ぶ。10年後の70周年は、どうなっているのだろうか。
「誰の演奏か」という問題 ― 2016/04/19
2016年4月10日(日)
京都市交響楽団スプリング・コンサート
京都コンサートホール
指揮:高関健
ピアノ:松田華音
グリンカ 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
チャイコフスキー バレエ組曲「くるみ割り人形」
ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲
ストラヴィンスキー バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)
先月の定期に続き、高関=京響を聴く。
個人的に書き留めておくべきはパガニーニ。以前、ドミトリー・リス指揮の大フィル、ダン・タイソンのピアノで実演に接してはいたものの、正直、ほとんど印象に残らなかった(このときは、メインのタコ8もさっぱりだった記憶が)。今回は、はじめてこの曲を「イイ!!」と思えた気がする。
結局のところ、これはわたしの推している高関さんの指揮で、集中して聴けたことが一番の要因だったかもしれない。リス=ダン・タイソンのときは、曲に興味はあったものの、演奏家に対する関心はなかったこともあってか、「どんな演奏になるのか」という事前の期待もなかった(とりあえず、有名曲をナマで聴いてみるか、程度の気持ちであったことは否定できない)。このため、今回とは対照的に、演奏に集中できず、パッとしない印象しか残らなかった理由であろう。
例の佐村河内問題の折、「人は "物語" を抜きに音楽を聴いているのか」ということが話題になった。「誰の演奏か」「どこで聴いたか」……曲の印象は、やはり、その時々のコンテクストに左右されるようである。
京都市交響楽団スプリング・コンサート
京都コンサートホール
指揮:高関健
ピアノ:松田華音
グリンカ 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
チャイコフスキー バレエ組曲「くるみ割り人形」
ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲
ストラヴィンスキー バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)
先月の定期に続き、高関=京響を聴く。
個人的に書き留めておくべきはパガニーニ。以前、ドミトリー・リス指揮の大フィル、ダン・タイソンのピアノで実演に接してはいたものの、正直、ほとんど印象に残らなかった(このときは、メインのタコ8もさっぱりだった記憶が)。今回は、はじめてこの曲を「イイ!!」と思えた気がする。
結局のところ、これはわたしの推している高関さんの指揮で、集中して聴けたことが一番の要因だったかもしれない。リス=ダン・タイソンのときは、曲に興味はあったものの、演奏家に対する関心はなかったこともあってか、「どんな演奏になるのか」という事前の期待もなかった(とりあえず、有名曲をナマで聴いてみるか、程度の気持ちであったことは否定できない)。このため、今回とは対照的に、演奏に集中できず、パッとしない印象しか残らなかった理由であろう。
例の佐村河内問題の折、「人は "物語" を抜きに音楽を聴いているのか」ということが話題になった。「誰の演奏か」「どこで聴いたか」……曲の印象は、やはり、その時々のコンテクストに左右されるようである。
ミッキーが求めるもの ― 2016/04/18
2016年4月8日(金)
大阪フィルハーモニー交響楽団第497回定期演奏会
フェスティバルホール
指揮:井上道義
ドビュッシー 交響詩「海」
吉松隆 トロンボーン協奏曲「オリオン・マシーン」
プロコフィエフ バレエ音楽「シンデレラ」より
大植英次が大フィルの音楽監督に就任して2年くらいは、朝比奈隆時代を「懐かしむ」声がweb上で散見された。それらを目にするにつけ、大植体制を肯定するにせよ、否定的に見るにせよ、「朝比奈体制との比較なしに論評できんのか?」と思わずにはいられなかった。「大フィルは”アサヒナ・キネン・オーケストラ”とでも改名しなければ生き残れない」はネタとして笑い飛ばすとしても、何かにつけ「朝比奈節」の健在を強調する向きには、いささか辟易したものである。
首席指揮者3年目を迎えた井上道義は、就任以来、「大阪にはラテンのノリが合っている!!」としきりに強調してきた。今回の演奏会でも、ドビュッシーのあとのステージのセッティングの際、「”オレはブルックナーを聴きたいんだっ!!”という向きもあるだろうが、思い切った方向に舵を切りたい」という意味のことを述べて、聴き手の拍手を誘っていた。大フィルのメンバーが入れ替わったように、聴き手のほうも入れ替わりが進んだのか、単純に朝比奈時代を懐古する声は見かけなくなった。客席の反応も、その現れであっただろう。あるいはそれは、朝比奈時代からのファンが離れていった、ということを意味するのかもしれないが……
大フィルはよくも悪くも、生真面目なオケだ。井上の試みは、それをよい意味で壊そうとするものであるといえる。「オリオン・マシーン」でソリストを務めた山本浩一郎のノリと明るさ。井上が大フィルで追求しようとしているものを、そこに見た。
大阪フィルハーモニー交響楽団第497回定期演奏会
フェスティバルホール
指揮:井上道義
ドビュッシー 交響詩「海」
吉松隆 トロンボーン協奏曲「オリオン・マシーン」
プロコフィエフ バレエ音楽「シンデレラ」より
大植英次が大フィルの音楽監督に就任して2年くらいは、朝比奈隆時代を「懐かしむ」声がweb上で散見された。それらを目にするにつけ、大植体制を肯定するにせよ、否定的に見るにせよ、「朝比奈体制との比較なしに論評できんのか?」と思わずにはいられなかった。「大フィルは”アサヒナ・キネン・オーケストラ”とでも改名しなければ生き残れない」はネタとして笑い飛ばすとしても、何かにつけ「朝比奈節」の健在を強調する向きには、いささか辟易したものである。
首席指揮者3年目を迎えた井上道義は、就任以来、「大阪にはラテンのノリが合っている!!」としきりに強調してきた。今回の演奏会でも、ドビュッシーのあとのステージのセッティングの際、「”オレはブルックナーを聴きたいんだっ!!”という向きもあるだろうが、思い切った方向に舵を切りたい」という意味のことを述べて、聴き手の拍手を誘っていた。大フィルのメンバーが入れ替わったように、聴き手のほうも入れ替わりが進んだのか、単純に朝比奈時代を懐古する声は見かけなくなった。客席の反応も、その現れであっただろう。あるいはそれは、朝比奈時代からのファンが離れていった、ということを意味するのかもしれないが……
大フィルはよくも悪くも、生真面目なオケだ。井上の試みは、それをよい意味で壊そうとするものであるといえる。「オリオン・マシーン」でソリストを務めた山本浩一郎のノリと明るさ。井上が大フィルで追求しようとしているものを、そこに見た。
Allegro energico!! ― 2016/03/25
2016年3月12日(土)
京都市交響楽団第599回定期演奏会
京都市コンサートホール
指揮:高関健
マーラー「交響曲第6番」
前週のびわ湖ホールではピットに入っていた京響だが、今回はステージ上での演奏。プレトークを楽しみにしていたのだが、事故で電車が遅延し、開幕3分前、ギリギリで客席に滑りこむハメになってしまった。残念ながら、プレトークは聞けず。とはいえ、プレトーク目当てで早めに家を出ていたからこそ、間に合ったのも確か。
ステージサイド2列目の席を取っていたため、パート譜に「高関版」と記されているのが目に入った。この辺の話をプレトークで聞きたかったのだが……
「安心・安定の高関ブランド」は今回も健在。しかし、普段と大きく異なっていたのは、そのエネルギッシュさ。マーラーへの共感を常々語っているだけに、いつも以上に気合が入ったか。冒頭の Allegro energico のまま、一気に駆け抜けた感じ。
京響は全般的に安定。目下、関西のプロオケで最も安定しているのは、京響ではなかろうか。最初から最後まで、破綻もなく、熱演を繰り広げた。聴いているほうも満足だったが、奏者も難曲続きとはいえ、充実感があったのではないか。演奏後の表情に、それが見て取れた。
ところで今回は、座席の位置の関係で、ほぼ目の前でハンマーが鳴るという、貴重な経験をすることに。こちらも気合が入りました。
京都市交響楽団第599回定期演奏会
京都市コンサートホール
指揮:高関健
マーラー「交響曲第6番」
前週のびわ湖ホールではピットに入っていた京響だが、今回はステージ上での演奏。プレトークを楽しみにしていたのだが、事故で電車が遅延し、開幕3分前、ギリギリで客席に滑りこむハメになってしまった。残念ながら、プレトークは聞けず。とはいえ、プレトーク目当てで早めに家を出ていたからこそ、間に合ったのも確か。
ステージサイド2列目の席を取っていたため、パート譜に「高関版」と記されているのが目に入った。この辺の話をプレトークで聞きたかったのだが……
「安心・安定の高関ブランド」は今回も健在。しかし、普段と大きく異なっていたのは、そのエネルギッシュさ。マーラーへの共感を常々語っているだけに、いつも以上に気合が入ったか。冒頭の Allegro energico のまま、一気に駆け抜けた感じ。
京響は全般的に安定。目下、関西のプロオケで最も安定しているのは、京響ではなかろうか。最初から最後まで、破綻もなく、熱演を繰り広げた。聴いているほうも満足だったが、奏者も難曲続きとはいえ、充実感があったのではないか。演奏後の表情に、それが見て取れた。
ところで今回は、座席の位置の関係で、ほぼ目の前でハンマーが鳴るという、貴重な経験をすることに。こちらも気合が入りました。
救いはない、それが現実 ― 2016/03/23
2016年3月5日(土)
リヒャルト・ワーグナー
歌劇「さまよえるオランダ人」
びわ湖ホール
指揮:沼尻竜典
演出:ミヒャエル・ハンぺ
オランダ人:青山貴
ダーラント:妻屋秀和
ゼンタ:橋爪ゆか
エリック:福井敬
マリー:小山由美
舵手:清水徹太郎
合唱:二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部
管弦楽:京都市交響楽団
沼尻竜典の指揮で聴く(観る)びわ湖ホールのワーグナーも、「トリスタンとイゾルデ」「タンホイザー」「ワルキューレ」に続いて4作目。カーテンコールの際、わたしの座っていた4階席後方から「今までで一番よかったぞおおおおおっ!!明日も頑張れえええええっ!!」と声が飛んでいたが、そのとおりの充実ぶりだった。合唱、そして何より、京響の演奏の重厚さが光った。歌手では、声を発した瞬間、ガラッと場内の雰囲気を変えてその存在感を示した福井敬(エリック)が印象に残る。
プロジェクションマッピングによってそれぞれのシーンを描き出し、メインの装置が動かないにもかかわらず、しっかりと場面転換がなされるという演出。今回は全3幕をとおしての演奏だっただけに、ヨリいっそう効果的だった。
さて、今回の演出は舵手のいわゆる「夢オチ」だった。これについてはweb上で否定的な見解も見られた。とはいえ、これは、「安易な救済を否定している」と考えれば、説明がつくのではなかろうか。
「すべては舵手の夢でした」ということになれば、オランダ人は救済されることもなく、海をさまよい続けることになる。一方でゼンタも、オランダ人を救済して、オランダ人ともに浄化されることはない。
「救済の否定」は、2012年の二期会「パルジファル」(飯守泰次郎指揮・読響)を観たときにも感じたことである。この際のクラウス・グートの演出−これにも否定的な声が多く、『モーストリークラシック』の批評にいたっては、「演出にせっかくの音楽を乱されることがないよう、目を閉じて聴いていた」という意味のことまで書いていた−では、ラストでパルジファルは独裁者となっていたが、そこからは、「救済を求めることは、結果として隷属に結びつきかねない」というメッセージを読み取ることができた。
救済など、求めても得られるものではない−絶望的ではあるが、それこそが「夢」ではなく、「現実」であることは確かだろう。
リヒャルト・ワーグナー
歌劇「さまよえるオランダ人」
びわ湖ホール
指揮:沼尻竜典
演出:ミヒャエル・ハンぺ
オランダ人:青山貴
ダーラント:妻屋秀和
ゼンタ:橋爪ゆか
エリック:福井敬
マリー:小山由美
舵手:清水徹太郎
合唱:二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部
管弦楽:京都市交響楽団
沼尻竜典の指揮で聴く(観る)びわ湖ホールのワーグナーも、「トリスタンとイゾルデ」「タンホイザー」「ワルキューレ」に続いて4作目。カーテンコールの際、わたしの座っていた4階席後方から「今までで一番よかったぞおおおおおっ!!明日も頑張れえええええっ!!」と声が飛んでいたが、そのとおりの充実ぶりだった。合唱、そして何より、京響の演奏の重厚さが光った。歌手では、声を発した瞬間、ガラッと場内の雰囲気を変えてその存在感を示した福井敬(エリック)が印象に残る。
プロジェクションマッピングによってそれぞれのシーンを描き出し、メインの装置が動かないにもかかわらず、しっかりと場面転換がなされるという演出。今回は全3幕をとおしての演奏だっただけに、ヨリいっそう効果的だった。
さて、今回の演出は舵手のいわゆる「夢オチ」だった。これについてはweb上で否定的な見解も見られた。とはいえ、これは、「安易な救済を否定している」と考えれば、説明がつくのではなかろうか。
「すべては舵手の夢でした」ということになれば、オランダ人は救済されることもなく、海をさまよい続けることになる。一方でゼンタも、オランダ人を救済して、オランダ人ともに浄化されることはない。
「救済の否定」は、2012年の二期会「パルジファル」(飯守泰次郎指揮・読響)を観たときにも感じたことである。この際のクラウス・グートの演出−これにも否定的な声が多く、『モーストリークラシック』の批評にいたっては、「演出にせっかくの音楽を乱されることがないよう、目を閉じて聴いていた」という意味のことまで書いていた−では、ラストでパルジファルは独裁者となっていたが、そこからは、「救済を求めることは、結果として隷属に結びつきかねない」というメッセージを読み取ることができた。
救済など、求めても得られるものではない−絶望的ではあるが、それこそが「夢」ではなく、「現実」であることは確かだろう。